私達は崩壊を待つしかないのか
力強く生き抜いている人々の実例を交えながら、果たして私達が具体的にどのような働き方・生き方を模索し、さらには転職して行くのかまとめる。前提として、これまでの社会で築かれ、日本人の頭の中にしっかり定着してしまったキャリアモデルは、いずれ破綻することはほぼ約束されています。
「未来がわかっているのに会社や国には打つ手がない。私達若い世代は崩壊を待つしかないのだろうか」。
しかし国や会社という看板、いわゆるカンパニーブランドは永続的なものではなく、いつ会社が経営危機に陥り、潰れるかも分かりかねる状況があり、しかもその傾向がますます顕著になっているのも事実であります。
もはや官庁ですら例外ではありません。それだけにカンパニーブランドに依存するリスクはこれからますます高くなることでしょう。このリスクを克服するには、オープンで敷居の低いインターネット空間などを手始めに、セルフブランドの世界を築き、育てる不断の努力が必要だと思われます。
力強く生きる先人に学ぶ
作者の場合、まったく予想もしていなかった苦しい地獄を脱する過程で、幸いなことに希望となるべき存在との出会いも繰り返して行きました。それはその自由な世界で強く、そしてたくましくも楽しく生き抜いている先人たちです。これは組織を離れたからこそ気づくことなのですが、本来、私達は自由に選び、使うことができます。重要な権利が与えられています。そのうち二つ、それは「人間関係」と「時間」。具体的に言えば、「誰と付き合うか」と「どのように時間を過ごすか」ということです。
これは公務員でも同じです。
自由な世界で出会った力強く生き抜く人に共通していたのは、自らの石で特定の領域を選んで人間関係を構築し、時間をかけて知識や技術を磨きながら転職市場で評価されるセルフブランディングを築いてきたことにありました。
彼らは組織にその権利の取り扱いを委託する方法とそしてその活動の内容や方向性は本当に様々になります。
できることを一生懸命に。人間関係からチャンスを掴む:杉村太蔵さん
作者が独立したのち、もっとも影響を受けたのは「薄口政治評論家」こと、元衆議院議員の杉村太蔵さんです。当時の作者はまだ官僚気質を引きずっており、しかも杉村太蔵さんは落選後ということで、その場では紋切り型に政治のあり方などから話題を切り出しました。
それに対し、いきなり「君の話って本当につまらない。それじゃ生き抜いていけないよ」と一刀両断。面食らった作者を横目に、杉村さんは自分の職業観や人生について淡々と語ったのです。
杉村さんは北海道生まれ。高校時代にテニスの国体で優勝し、筑波大学の体育専門学群へスポーツ推薦で入学しました。
大学入学後は、憧れていた弁護士を目指し、法学部への転部と司法試験の合格を目指したのですが、両方ともあえなく挫折。自分の才能の無さにやや自暴自棄になり、そのまま大学からドロップアウトしてしまいます。
中退した後は就職活動が応用に進まず、ついに音を上げ、北海道の実家に帰ろうと父親に相談したところ、「帰ってくるな、働けないなら死ね」と一喝されてしまいました。
そこで目が覚めて「生きるためならなんでもやろう」と決意。それまでプライドが邪魔して距離を置いていた派遣会社に登録し、ビル清掃の仕事を始めます。
いわゆるおばちゃんのパートさんばかりの職場でしたが、「目の前のことをしっかりやろう」と決意。一生懸命に掃除をしていたところ、その姿がビルに入っていたドイツ証券の幹部の目に留まり「うちの入社試験を受けてみないか」と勧誘されたそうです。
めでたく採用されたのちは、契約社員として働くことになりますが、上司からは配属早々「君には人権があると思うなよ」と厳しい宣告を受けました。
それでも「人生を切り開くにはこの人についていくしかない」と直感的に悟り、24時間365日、がむしゃらに働いたそうです。
そこで2年ほど働く中、郵政民営化が市場に与える影響を調べることになり、自民党の審査を突破。自民党から「面接をしたい」と連絡が届き、仕事の合間に面接を受けるうちに衆議院議員選挙の比例代表名簿、その端に候補者として名前が載ることになりました。
「まさか当選はないだろう」と考え、勤務を続けながら夏休みの2週間だけ選挙戦に挑んだところ、自民党が大勝利。なんと当選してしまいました。
人生はロールプレイングゲームだ
「人生とはロールプレイングゲームのようなものだ」ということ。有名なロールプレイングゲームであるドラゴンクエストについて、おそらく大半の人はご存知のことでしょう。シリーズによって内容の違いはありますが、概ね「世界を危機に陥れる魔王を倒す」という目的を持ち、故郷の王様の支援を受け、たった一人で世界を冒険することになります。
ゲームスタート時、主人公は戦う技術もほとんどない若者にすぎません。最初に提供する支援の貧弱さを考えるに、王様もその時点で主人公が魔王を倒せるとは思っていないかもしれません。王様は主人公の勇気と成長の可能性に期待し、とりあえず、最低限の支援を行います。
主人公は自分んを勇者だと名乗っていますが、おそらく王様は、他に何十人もの勇者に投資しているはずです。現実の世界でも、王様に当たる資本家は大抵は複数の勇者にあたる起業家へ投資をしています。
旅たった勇者は知らない土地にたどり着くと、その国の王様や村人から話を聞き、そこで何が問題になっているか、情報収集に駆け回ることになります。そして勇者だけでは勝利を収めることが困難なため、一緒に戦ってくれる仲間を探しています。
仲間というものは「いるべきところにいる」もので、問題が起きている現場(ゲームだと洞窟や街中のもめごと)で「会うべくして会う」もの。そして仲間になってくれる存在は、目的を同じくしつつも、違う特徴や特技を持っているはずです。
パーティーが出来ればお互いの人脈や能力が組み合わさって、可能性はさらに広がって行きます。小さくても核さえ出来れば、それをベースに物事は広がっていくものです。
肩書き捨てたら地獄だった – 挫折した元官僚が教える「頼れない」時代の働き方 (中公新書ラクレ)