濱潟好古が防衛大学校に着校
私が防衛大学校2学年の時の記憶、あまりにも印象的だったので今でも鮮明に覚えています。私は晴れて2学年になり、1つ下の後輩達が2002年4月1日に続々と着校しました。私の対番は濱潟好古ではなかったが、濱潟好古は同じ小隊の1学年(もしかすると同じ部屋??)であったこともあり、対番と一緒に受け入れました。
濱潟好古の第一印象は、真っ先に辞めるだろうなと感じました。髪も長く、少し暗い感じであり、ふてぶてしさもありました。
しかし、最初に驚いたのが、着校して髪が長い者はそのまま、敷地内にある床屋に連れていき髪を切るのだが、同じく濱潟も髪を切りました。短くするようにとは伝えたが濱潟好古は坊主にしたのです。
私は印象とはギャップがあったので、思わず「なぜ髪をそんなに切ったのか」と尋ねたら、なんとなくという感じでした。
次に驚いたのが、防衛大の1学年も入校式を終えると、校友会という部活に入ります。そこでなんと、短艇委員会に入ったのでした。
当時は(今も??)、応援団リーダー部と短艇委員会は非常に厳しい校友会であり、そこに所属する者は非常に変わり者でした。
すぐに辞めるだろうという印象であっただけに、短艇委員会に入るなんて何を考えているんだと感じました。全く、何を考えているのかわからなかった。ある意味それが、今に至っている理由なのかもしれません。
そして、短艇委員会に入ったということもあり、上級生の指導にも淡々と対応しているというか、悪く言えば、あまり響かない感じであったと思う。
そして、陸・海・空の職種では、当然、海を選び、晴れて海上要員になりました。厳しいものばかりを選び、そこでも驚かされました。
2学年以上になっていても特に、学生舎生活については、適当にやり、短艇委員会に力を全力に注ぎ込んでいたと記憶します。
株式会社バリューアークコンサルティングの取締役
私が7年数ヶ月航空自衛隊にいて、30歳の誕生日に辞めました。そして、防衛大出身の社長をネット検索をしていた時に、東海林希亜さんという方を見つけました。私は会社からの問い合わせからぜひ、会いたいといい、会いにいきました。そして、その時に、直接会ってはいないが、株式会社バリューアークコンサルティングで取締役としていて、濱潟好古が営業の責任者をしているという話を聞きました。
防衛大時代の思い出が蘇るとともに、非常にびっくりであります。そして、いつの間にか独立して、今では株式会社ネクストミッションという会社を設立し、コンサルタントとして活躍しているのであります。
何となくですが、濱潟好古は大物の社長になるように感じます。
経歴
下記は、株式会社ネクストミッションのホームページからの抜粋です。1982年生まれ。防衛大学校卒業後、海上自衛隊幹部候補生学校を経てIT系ベンチャー企業に営業職として入社。
入社2年目から5年目まで売上№1営業マン。6年目に営業部長に就任後は「今いる部下を一流に」をモットーに中堅、新人にかかわらず全ての営業担当に目標予算を達成させる。
2016年1月に独立し、株式会社ネクストミッションを設立。 企業を対象に組織マネジメント、仕事術、リーダー研修や講演活動を行うほか、雑誌、ネットメディアで活躍。
著書
防衛大式 最強のメンタル
最前線で日本を守る人材を育成する防衛大学校。そこは入学1か月で多数の脱落者が出るという、日本一過酷な大学。逆境に立たされたとき、心が折れそうになったとき…。防衛大生はどうやって乗り越えていくのか?
・一人では乗り越えようとはしない ・「何を得られるか」から「何のために」と順番を変える ・心が曲がり始めたときは「頑張らない」ものを選択する ・リスタートをできるパワースポットを決める ・全ての失敗は自分が変わるチャンス
何があっても必ず結果を出す! 防衛大式最強の仕事
日本を防衛する最強集団だからこそ大切にしている仕事の戦略38を一挙公開
・置かれた場所で生き抜く覚悟を持つ ・魚は釣り続けてこそ意味がある ・自分の身の回りにあるものはすべて戦力 ・自己否定は最強の戦力ダウン ・自己保身は百害あって一利なし
防衛大で学んだ無敵のチームマネジメント
■個人の力やチームの力を大きく伸ばし、最終的に目標達成する部下を育成する、この「防大式の組織育成マネジメント」を初めて紹介する本!
防衛大流 最強のリーダー
国家防衛を担う、究極の人材育成法! 日本最強の教育機関「防衛大学校」が教える、必ず結果を出すためのリーダーの哲学・所作を「6つの力」に体系化し初公開!
以上が、濱潟好古の学生時代と経歴等の紹介です。