人生の楽しみは遊びだけではない
人生の楽しみとはなにか。そうたずねると、仕事からはなれて遊ぶこと、と答える人が多い。しかし、そうではない。ある人には非常に苦痛であることが、別の人にとっては楽しみであることもあります。だから、人によって、楽しみは多種多様であります。楽しみの内容が問題なのです。
陸上競技の100メートルの選手が、楽しみで水泳をやる。あるいは水泳の選手が走り高飛びをやって楽しむ。他人から見ると、100メートル全力疾走でスタミナを消耗した上に、泳いだり高飛びをしたりしなくてもいいのだが、当人が夢中になっていれば、それでいい。
将棋指しが、休憩時間に碁を打って楽しむのも、学者が推理小説の犯人さがしに夢中になって頭を休めているのも、いかにも仕事の延長のような気がするが、本人が楽しんでいれば立派な楽しみであります。
ところが人生の楽しみは、仕事からはなれて、まったく関係のないゴルフをしたり、山登りをしたりすることだ、と思い込んでいる人がいます。そういった”遊び”は、楽しみ方の一分野にすぎません。
パソコンで仕事を合理化している人が、パソコンゲームに夢中になって遊ぶのも、楽しみの一分野であります。
楽しみは仕事から180度はなれたところにある遊びだけではありません。そういった遊びでしか楽しみを得られないとしたら、その人は不幸であります。
いい人生を送ろうとすれば「地ならし」が必要であります。同じところばかり踏んでいては、「地ならし」にはなりません。そんな土地にはいい家は建てられない。家を建てるためには、全部「地ならし」をしなければなりません。
仕事というのは、ある一定のところだけを踏んでいるうようなものであります。踏んでいれば、そこは固くなり、いい土地になります。しかし、それだけではダメで、こっちも踏まなければならないし、あっちも踏まなければならない。全部踏み固めなければ「地ならし」はできません。
全部踏んではじめて立派な「地ならし」ができ、いい人生を送ることができるのであります。仕事の鬼になって仕事ばかりやるのもけっこうですが、それでは非常にかぎられたところだけを攻めることになります。
別のところも攻めなければなりません。その別のところを攻めるのが、人生の楽しみ方なのです。特別に、ゴルフや山登りにこる必要はありません。同じことではないことを普通にやっていればそれでいいのです。
100メートルの選手は水泳をやることで、スタミナの配分の仕方、使い方がおのずと参考になるはずです。将棋指しは囲碁を打つことで勝負のカンに磨きをかけることができるのだろう。違うところを踏んで見れば、仕事も広がってくるし、見方も変わってくるのです。
人生の楽しみ方とは頭の切り替え方でもあります。遊び出なくても頭を切り替える方法はいくらでもあるはずです。夢中になって精神を集中して打ち込めるものであれば、仕事と同じ線上のものでも十分であります。
この先20年使えて「莫大な資産」を生み出すビジネス脳の作り方(Den Fujitaの商法3の新装版)
